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長崎旅行 軍艦島

故あって長崎に旅行してきた。佐世保鎮守府と幻影ヲ駆ケル太陽とsolaの巡礼なわけですが。ついでに軍艦島行ってきた。…いやついでじゃないな、こちらも大きな目的だ。

 

軍艦島は、長崎市の沖合16キロくらいのところにある無人島だ。正式には端島という。長崎造船所で建造していた加賀型戦艦「土佐」に似ていることから軍艦島と名付けられたそうだ。土佐は軍縮によって標的艦となってしまったというが…。1800年台初頭に発見された炭鉱の採掘は、明治維新から第二次世界大戦、そして高度成長期が終わり、石炭の需要があまり無くなり閉山となる1974年までの百数十年続いた。近代を支えた炭鉱が閉山となって幾星霜。台風や高波の影響ですっかり荒れ果ててしまったかつての住居や採掘の施設跡が廃墟マニアに大受け。イリーガル(元々2001年くらいまで三菱マテリアルの私有地。それから長崎市に寄贈されたのだが)に上陸し、廃墟見物する輩が続出していたという。長崎市も観念したか新しい観光資源として着目したのか、とうとう条例まで施行して、禁止されていた上陸を解禁したのが2009年。今では5社が上陸クルーズを企画・展開。数々のアーティストやら映画やらゲームやらの舞台となり、長崎の新しい人気観光スポットとなっている。

 

今回は、高島海上交通の軍艦島クルーズを利用した。一番安かった(3000円)ので。

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港を出て1時間と少々。途中伊王島に寄ったり、軍艦島のお隣りの高島にて石炭資料館で当時の資料を見たりとして。いよいよ東シナ海に浮かぶ軍艦島が見えてきた。

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今日は波も穏やか。風も弱い。上陸日和だった…というが、船に慣れていないおれにとってはとても穏やかには思えなかった。波を乗り越えるたびに船が大きく上下する、傾く。とても荒れた海に思えてならなかったのだが、ツアーの人は「ずいぶん揺れてると思ってるでしょうけど、この程度このへんじゃよくありますよ」と言ってのける。他の観光客もキャアキャア騒いでいたのだが、船酔いしてぐったりしてるような人はあまり見かけなかった。どこぞの軍艦島ツアーのレビューでは客の8割が船酔いでダウンしたなんて記述もあったから、たぶん今日は本当に大した揺れじゃなかったのだろう。

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桟橋に船が付けられる。上陸だ。

上陸ツアーと銘打たれているが、上陸できる範囲は限られている。決められていた順路しか移動することができない。建物が密集している方が当時の雰囲気を味わえてるのだろうが、当時の建造物は風化・老朽化が進んでおり、いつ崩落してもおかしくないという。危険な場所を観光するわけにはいかないのだ。

 

 

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上陸してまずたどり着く第1見学広場では、石炭を運んだベルトコンベアの後が見える。奥に見えるのは端島小中学校だ。

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屋上に草木が生えている。この島はかつて「緑の無い島」と言われていたというが、現在はあちこちに植生がある。海鳥が運んだそうだ。また当時の人が残した植物が未だに生きているのかも知れない。

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見学広場は3つある。ガイドが各広場に観光客を先導し、広場に集めて解説をする。

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第2見学広場は、かつての事務所前だ。

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奥の灯台は閉山当時は無かった物。この炭鉱が生きていた頃は、24時間営業だったので、窓の灯が明々と灯り、灯台などいらなかったとか。灯台の横にあるのは給水タンク。湧き水なんて期待できないこの島にとって、水は貴重品。昭和32年に海底水道管が敷かれるまで、給水船が水を運び、あのタンクに貯めていたのだとか。

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第二堅杭杭口桟橋跡。階段が未だに残っている。多くの炭鉱夫がこの階段を登ってエレベーターに乗り、地下1000メートルにも達する海底に行き、石炭を掘っていたのだとか。そんなに深いところだからとても重機を持ち込めるものでもない。ほとんど人力で掘るしか無かったのだ。

 

第3見学広場。島の南側。奥に日本最初の鉄筋コンクリート造のアパートといわれる30号アパートが見える。

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窓のサッシ跡が見える。場所によっては生活道具一式が残った状態の部屋もあるとか。テレビや洗濯機…当時のポスターが残っているところもあるとか。近年は外国の観光客も多いそうな。特に今年は007のスカイフォールの舞台として軍艦島が使用されたこともあり(モチーフで、ロケはしてないそうだが)、2割くらい外国の方がいるときもあるのだとか。長崎は元々外国人観光客の多い街であるが、好きな人はいるものなのだな、と。

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こちらはプール跡。奥に釣り人がいたりするが…あの堤防の上は勝手に登ってもいいらしい。ほんまかいな。

 

ということで、わずか1時間の上陸を終えて一路長崎港へ。短く非常に限られた範囲での観光となったが、満足度の高い旅だった。日本の近代化はここが支えていたのだと。もちろん功罪はあるだろうけれど。

狭い範囲に人が集まって生活していた頃はどんな雰囲気だったんだろう…当時の軍艦島を見てみたかったな、とそんなことを思った。

 

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