ツインテールの吸血鬼はお好きですか

Do you like a twintail vampire ?

リスアニLIVE2016の感想とか

結構昔からアニメというものを選択的に見てきたし、アニソンをさんざん聞いてきた人間だが、リアルな現場でアニソンを聴くという体験を始めたのは、ごく最近だったりする。お金を払って、チケットを取って、音楽をその目的のためだけに聴きに行った体験は、2014年末のプリティーリズム&プリパラのクリスマスイベントが初めてだったと思う。つい1年と少し前だ。

でも、そのときそれなりに幸せな体験ができたことが、2015年にあれこれイベントに参加してみようかなという気持ちにつながったと思う。

そういえばそのイベントには、シンデレラガールズでもある原紗友里内田真礼も出ていた。今思えばフラグだったのかな、と思ったりもする。

 

…そんな枕で。2016年1月23日武道館で開催されたリスアニLIVEに参加した。様々なアーティストが参加するフェスと呼ばれる形態のイベントは初めてだった。

そもそもの目的は、まぁ、アイドルマスター、だったのだが、最近よく耳にする分島花音やfhanaを聞いてみたいという気持ちも無いではなかった。そういえばスフィアや茅原実里といった往年の人たちも生で聞いたことはなかったし、見聞を広めるには良い機会と言えた。

武道館の席は2階席。自分が体験したことのある2階席というものは、横浜の国立大ホールで、あれはステージが豆粒のように遠かった。けれど、武道館は想像よりはステージに近く、目を凝らせばステージ上のアーティストの表情も見えそうなくらいだった。

リスアニLIVEは、生バンドによる演奏がひとつのウリとなっているのだとか。実際に上演前にチューニングを行ったりしている様子が見えて、とても気持ちを上げてくれた。いや、ライブと言うのはこれが普通なんだろう。初めてのことばかりだ。

 

個々の感想に映る。

トップバッターは茅原実里、曲はZONE//ALONE境界線上のホライゾン2期OPだ。iPhoneにも入ってるくらいには気に入った曲だ。

茅原実里は、声優の中では歌手よりなのかなぁという程度の認識の人だったが、実際に聞いてみると、パフォーマンスにせよMCにせよエネルギッシュだ。役柄のイメージとは違う。長くやってるからから、場馴れしていて他の面々よりも安定感があった。

TERMINATEDや境界の彼方といった主題歌に、代表曲といえるParadise Lostも聞けた。喰霊・零は何年前だろう?CDを買っちゃったくらいには好きな曲だったので、本当に現実に生で聴く機会が来て嬉しかった。個人的にはあと「Self Produce」が来たら知っている曲全てなんじゃないの?とって感じだった。

 

茅原実里が場を温めてくれたところに、分島花音が次に続く。ここ1、2年名前が知られた印象の人だったが、調べると、アニメでもヴァンパイア騎士(2009年!)や屍鬼(2010年)で歌っていて結構昔から活動していた人であることを知った。selectorの主題歌「killy killy JOKER」がヒットしたことで一気に出てきた感じ。長いことやっていて地力はあるようだから、これからどんどん出てくる人なんだと思う。

selector 3曲を生で聞けたのはとても良かったし、そのうちの1曲が初披露となる劇場版主題歌「Love your enemies」であるというのも熱かったさ。「selectorの世界を描くことに頑張りすぎて、ライブのことを考えずに作った曲」とのことで、自分で作って自分で歌って大変だったのだとか。

分島花音のステージでは、マイクスタンドの傍らにチェロが置かれていたのが目を引いた。自己紹介でチェロ奏者という話は聞いていたが、実際目で見てみるまでは信じがたかったのも事実。間奏に弾くのは分島花音の個性を打ち出す最高のパフォーマンスだったと思う。

 

早見沙織は特別枠の出演だったようだ。(アーティストとしては)デビューしたばかりで曲が少ないからか、3曲のみの披露だった。長年キャラソンで評価されてきただけあり、流石の歌唱力だった。自分が最初に聞いたのは、お稲…セキレイだろうか。セキレイは今でも時々聴くくらい好きな曲だ。生で聴ける機会は今後あるんだろうか。

今日のリスアニLIVEの音響は、おそらく早見沙織を基準に調整されていたと思う。彼女の発する美しい高音が、音割れもせず会場中に綺麗に響いていたから。ああ、こういう声は、ハイレゾで家でじっくり聴きてぇ、と心底思わされた。来週発売の曲はぜひ買いたい。

 

スフィアは、何だろう。かなり昔から名前も正体も知っているのにも関わらず、あまりとっかかりのない人たちという印象だった。個々の声優自身の印象はともかく、スフィアという総体の印象はこれまであまりなかった。しかし、今日スフィアを生で見て、スフィアこそこの何年かのアニソンシーンを盛り上げていた人たちなのだ、と感じた。そのくらいスフィアが現れると場の雰囲気が変わったのを感じた。それまで静かだった隣の席のおじさんが急に叫びだしたというのもあるのだが…。

アイマスの現場しかろくに知らなかったから、別の声優グループの現場はこうなのかと比較する意味でも面白かった。あ、FuFu言わないんだね、とか(曲によっては言うのかも)。振付も可愛さ全振りという感じで、4人組であることをうまく活かしたコンパクトでキュートなダンスだった。振り付けもシンプルかつ動作の大きいモーションが多く、真似しやすくなっているようで、スフィアのファンの人は一緒に踊っていた。これがスフィアの定番なんだろうか。

スフィアといえば個人的にはおとめ妖怪ざくろ主題歌の「MOON SIGNAL」なのだが、スフィアの中でも特別な曲なのか、もちろん歌ってくれた。これだけサイリウムの色が「赤」だったというのも印象的。他の曲は、スフィアそれぞれ各メンバーの色を好きな様に振ればいいという感じだったのだが…。MOON SIGNALは本当にキャッチーな曲だと思う。

 

今回初出演だったfhánaは、ここ1年くらいでよく聞くようになった名前の人たちだ。そう人たち。女性歌手の名前かとライブの直前まで思っていたのだが、実はバンドの名前だったのだfhána。通りで曲の中に男声も入っていたはずだ。

ボーカルの独特のハイトーン、CDで聞いている時には流石に通常はもっと違う声なのではと思っていたが、実際喉が潰れてしまいそうな音域できっちり歌っているので本当にびっくりした。それも無理している感じがせず、安定感があったというのが驚き。確かにこれは武器かもしれない。

自分がfhánaの名前を自覚したのはウィッチクラフトワークスOPの「divine intervention」だろうか。疾走感のある曲でとても好きなのだが、今日聞いた感じではfhánaとしては異色な方らしい。あとはファーストアルバムの表題でもある「Outside of Melancholy~憂鬱の向こう側~」がとても良かった。予習で一番印象に残った曲だったので、実際に歌ってくれて嬉しかったな。

でもfhánaはやっぱりデビューしたばかりなんだな、という印象も受けた。MCが慣れてないし、メンバーも初々しい。ちょっと挙動不審ですらある。でももっと意識高そうな人たちかと思っていたから、逆に親しみが持てたな。これからどんどん色んな場を経験して、メンバーたちも慣れていってしまうのだと思う。彼らの初々しさは今だけの特別なものかもしれない。レアな体験をしたかもしれない。

 

藍井エイルは、正直なところあまり良く知らない人だったのだが、情熱系熱唱系女性アーティストの第一線らしく、確かな実力とパフォーマンスを兼ね備えた人だな、と。

キルラキル「シリウス」は流石におれでも知っているし、SAOの「IGNITE」はiPhoneに入れているくらい気に入った曲だ。昨年はリスアニLIVEのトリを務めたのだとか。それだけ現代のアニソンシーンで欠かせない人なんだろうと。でもあまりこの人が主題歌歌っているアニメは観てない気がする。

 

ここで、アイドルマスターがトリであることに会場が気付く。初参加のおれはその意味がよくわからなかったのだが、リスアニはどちらかというと意識が高いアニソンイベントなのでそれほど媚びないものらしい。「キャラクター名義」「どちらかというとノリ重視のアイドル曲」というアイマスがトリを飾るのは結構事件だという。過去何回もアイマスやってるけどな。

アイマスは、流石にもう言うことはない。というわけではもちろんなく。会場が全員プロデューサーだったんじゃないかと錯覚するぐらいの盛り上がりだった。リスアニLIVEは紛れも無いアイマスのライブだった。

歌マス…THE IDOLM@STERは、おれがアイマスを知ったのと同時に知った曲で、今も昔も俺の中でアイマスの看板と言える曲だと思う。10年前の曲だ。初収録は2003年だったことを考えるともう古典と言ってもいいかもしれない。当時からして古くさかった歌詞が今も歌われていることに感動すら覚える。いや大好きな歌詞なんだが。とりあえずUO折った。

自分REST@RT…10年目を終え、11年目を迎えて新しいスタートをきるのにふさわしい曲。一時期色々思うところあってアイマスから離れた時期があって、昨年いろいろあって戻ってきて、離れていた間の曲を色々と聞き返していたのだが、一番印象に残ったのがこの曲だった。とりあえずUO折った。

GOIN'!!!…10th、3rdでも披露されたし、比較的難しいはずのコールも定着して定番化した感すらある。客席も訓練されてるなぁという感じで。初めて聞いた時にはこんなに盛り上がる曲になるとは思わなかった。とりあえずUO折った。

Dreaming!…10thで初披露だった曲。ミリはよく知らなかったのだが、それでもこの曲はとても印象に残っていて、CDも買ってしまったっけ。リリイベは当たらなかった。ミリのことは今でもあまり知らない。でも彼女らのパフォーマンスを見ると、もっとミリを知らなきゃいけないな、と思った。UO…無くなった。

お願いシンデレラ…なんと765、デレ、ミリ全員で歌うというお祭りにふさわしい特殊編成で、定番の曲もちょっと新鮮に聞こえるというもの。アイドルマスターというコンテンツはこういうコラボめいたことが気軽にできちゃうのが強いなと思う。たぶん。あとこの曲はコールがとても楽しい。

そして大トリ…Thank you!ミリの曲だ。この選曲は意外に思われたようだ。おれもアイ MUST GOかM@STERPIECEあたりがシメでくるかなぁと思ったのに。それでもこれを選んだ理由はなんだろう。歌詞に武道館が出てくることかな、それともミリ3rdを控えているからかな、今年はミリのターンということだろうか。いずれにけよミリのPたちの勢いと熱量を感じた。

 

フェスは、単独のライブに比べると、短い出番で客を盛り上げる必要があり、必然的に定番や有名な曲に偏る傾向があるように思えた。それでも1度にいろんな人のを聴けて楽しい体験だった。

期待通りの曲を聞くことができたし、そうでなくても面白い曲やパフォーマンスを見れた。

また来年も行ってみたい。

 

Fallout4レビュー「Fallout4は如何にFallout3から進化したか」

Fallout4の日本語版が12月17日に発売される。英語版は先月発売されており、英語と格闘しながらプレイしていた者としては、日本語でようやくゲームが理解できる待ちに待った日でもある。Fallout4は英語でも十分に楽しかった。しかし、簡単な会話であればまだしもストーリーの深い部分に関わるような複雑な会話になると、意味がすぐには理解できなかった、ということもまた事実だ。日本語版の配信により、より深くゲームに入り込めるようになることが喜ばしい。

 

さて、Fallout3はFalloutシリーズ7年ぶりのナンバリング新作だ。途中にNew Vegasという作品も出ているのだが、実は機会がなくてプレイできていない。(steamのライブラリには登録されている)おれにとっては久々のFalloutシリーズだ。

 

最初Fallout4に触れたときに感じたのは「あまり前作と変わっていないな」というものだった。しかし、つい昨日Xbox Oneの互換機能を用いて手持ちのFallout3をいまさらやり直し、実は長足の進歩を遂げていることを理解した。

 

おおよそ以下の3点に集約できると思う。

「アクション性の向上」

「パワーアーマーの扱い」

「風景のバリエーションの増加」

 

まず、大きな変化点の一つは「アクション性の大幅な向上」だ。

Fallout3は、あくまで一人称視点(三人称も可能)なRPGであり、武器が銃器メインであるものの、基本はそれまでのTESとあまり変わり映えしないものだった。多くのFPSゲームでは、Lトリガー(おれはXboxユーザーだからこう表現させてもらう)を引くことでエイムを行うが、Fallout3では視界が拡大されるのみであり、アイアンサイトをのぞくことはできなかった。(スコープ付きの場合はのぞくが)それに対して、Fallout4は、FPSとしてプレイできるほどのアクション作品に仕上がっている。エイムはもちろん可能となったし、移動のレスポンスもいい。銃撃戦を純粋に楽しめる作品になっている。

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Falloutシリーズの特徴的なV.A.T.Sシステムを用いた戦闘も大きく変更されている。Fallout3はV.A.T.S発動時に完全に時間が停止し、無敵になったが、Fallout4ではスローになるだけで敵は動くし、ダメージも受ける。3は積極的にV.A.T.Sを狙うゲームだったと思うが、4は基本はリアルタイムでFPSっぽく戦い、ここぞというときにV.A.T.Sを発動するのが良いように思う。

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次に、「パワーアーマーの扱い」も外せない変更点だ。

Fallout3のパワーアーマーはただの装備品だった。序盤からアーマー自体は結構手に入るが、装備には条件が必要であり、装備できないもどかしさを覚えている。このパワーアーマーは、トレイラーやゲームパッケージにもでかでかと描かれているくらいFallout3の象徴のような存在だが、実際に装備できるようになると、わりと普通の装備であり、そこまで見た目の印象から受けるような凄みを感じられなかった。

Fallout4でパワーアーマーには大きな変更が加えられる。それは決戦兵器としての役割だ。パワーアーマーは普通の装備と完全に別個の「乗り物」のような扱いになっている。一度乗り込めばユーザーインターフェースも完全に専用のものとなり、パワーアーマーに乗り込んでいるという実感を味わえる。装甲は通常の装備とは10倍防御力が高いというまさにケタ違いの硬さで、デスクロー2体相手に平然と殴りあえるほどだ。落下ダメージもなくなるので屋根の上や崖から飛び降りても無傷だ。

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しかし、その代償として「フュージョンコア」という燃料がないとパワーアーマーは動かないようになっている。フュージョンコアは時々フィールドで入手できる貴重品となっている。フュージョンコア1個あたりのパワーアーマー稼働時間はそれほど長くない。そのためゲーム中常にパワーアーマーを着用できるようなバランスにはなっていない。

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どこでパワーアーマーを着るのか、というのFallout4の戦略の一つになっている。

 

最後に、オープンワールドゲームとしては最も重要なことだと思うが「風景のバリエーションの増加」はありがたい。キャピタルウェイストランドを見てほしい。この荒野を!

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それに比べてFallout4のなんと自然が豊かなことか。

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都市部の雰囲気も格段に良い。

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キャピタルウェイストランドよりも大気の具合がいいのか、快晴のときの空の青さもいい。核戦争後でも空はどこまでも青い。

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天候の変化もある。一面に霧がかかったコモンウェルスも美しい。往年の大都市の面影が見られる。

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上記3点が、おれが考えるFallout4の大きな進化点だ。どれもひとつのゲームとして面白さ、楽しさを深める方向で進化しているものだ。

ほかにも細かい変化はたくさんあって、人との会話シーンがきっちりとカットシーンっぽくなっているとか

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死体やロッカーをのぞくとリアルタイムで中身がわかるとか

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PC版でもXboxコントローラ差せばコントローラに最適化した操作ができるとか、スプリントできるとか、自分だけの拠点が作れるとか、様々な改良点・変更点がある。そのどれもが遊びやすさ、楽しさの向上につながっていると言える。

さて、ぐだぐだと書いていたら日本語版のリリースまで10分を切った。この駄文はFallout4をこれからプレイするすべての人に対して書いている。

ようこそウェイストランドへ。あなたのボストン旅行が幸多いものであることを祈る。

Fallout4プレイ日記「Road to Freedom」

海外発売日にFallout4を購入し、そのままプレイしている。楽しい。楽しすぎて寝不足の毎日だ。

さて、Fallout4に存在するあまたのクエストのうち、本日体験した「Road to Freedom」のクエストが街歩き+謎解きというおれの大好きな要素が組み合わさったクエストで大変よかったので記録に残すことにする。

 

Vault111を脱出した主人公は、様々な出会いや戦いを経て、Railloadという組織に接触しなければならなくなった。謎の組織である彼らと接触するためには、Boston CommonからFreedom Trailをたどる必要がある…。というのがクエストの大意である。

まずFreedom Trailとは何なのか。Boston Commonにガイドロボがいるので聞いてみよう。

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左様か。どうやらBostonの有名史跡を巡る観光ルートのようだ。観光ルート通りにいけばいいのか…?

さて、これからどうすればいいんだろう。と周囲の探索を開始する。

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意味ありげな看板がある。ランタンを探せばいいのか…?

しばらく悩んだ後、あることに気付く。

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地面に赤いレールのような舗装がある。"follow the red path"とは、つまり赤い舗装を辿れ、そういうことなのか…?

赤いパスを追いかける。

途中瓦礫の覆いかぶさったところもあるが、パスはずっと続いている。

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道中には多くのスーパーミュータントの巣がある。スーパーミュータントの脇を潜り抜け、フェラルグールを叩き潰し…

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とうとうパスはひとつの建物の前で終わった。

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そこはOld Churchと呼ばれる場所。建物に入ると、すぐに崩壊した聖堂とグールの群れが主人公を迎えてくれる。適当に退治しながら、地下への階段を降りる。そこはカタコンベだった。

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墓場ということもあり、グールが出現する。さらに奥へ進む。

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最奥に謎の円盤があるのを発見する。この「リング」は回るようにできているようだ。そして中央がボタンになっていることも発見する。…なるほど、ここで何らかの「コード」を打ち込んでやる必要があるみたいである。

そのコードはどこにあるのか?これまでにそんなヒントはあっただろうか。と、教会の入り口まで戻ってみる。

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ふと足元を見ると、意味ありげな紋様を発見。先ほど見たリングと同じ模様があり、数字と文字が示されている。もしかしてこれがパスコードなのか…?まさか道中にも同じようなマークが…?

こちらの考え通り、再度パスを辿ると道中のパス上のマークにも同じように数字と文字があることを見つける。

 

…ここからは想像通り。そのキーワードを集めることで、無事仕掛けを解くことができた。さて仕掛けの先には何が待ち受けているのか。ここは実際にプレイして体験してほしい。

 

このクエストはこんな感じ。戦闘だけでなく、Bostonという舞台を活かした街歩きのクエストだった。久々にゲーム中で謎解きができて、しかもそれがまるでオリエンテーリングみたいだったので、「巡礼」と「旅」の好きな自分にはうってつけとも言えるクエストだった。

Fallout4はこのように、討伐だけでなく様々なバリエーションのクエストが存在する。ちょっと軽くプレイするつもりが何時間にもなる。そんな面白さの片鱗を感じていただければ幸い。

 

あとで調べると「フリーダムトレイル」は実際にボストンに存在するのだとか。いつかボストンで実際にたどってみたいと思わせる、そんなクエストだった。

映画:ピクセル

ピクセルを観てきた。

 

正直言うと、おれはこの映画の対象年令じゃないのかもしれない。おれはこの映画がフィーチャーしている80年代アーケードゲームを体験していない。おれがゲームに触れたのは80年代後半のコンシューマ…つまりファミコンからだから、その時代を知らない。だから本作の伝えたいところがよくわかっていなかったのかもしれない。

だからなのかもしれないが、なんというか、おれはこの作品からゲームに対する「愛」みたいなのを感じ取れなかった。

 

 

細かいことなんだ。

この作品は、かつてゲーマーだったけど、今はパッとしない人間が、「ゲームの世界を借りて侵略してくる異星人」に唯一対抗できるって設定のはずなんだ。でも、その設定を有効に活用できてるとは思えない。

例えばVSパックマンだ。宇宙人が創りだした人を襲うパックマンに対抗するために、パックマンの敵であるゴーストとなってパックマンを倒す…という時点で、そもそも元のゲームと関係ないのだが、そのゴーストを何で代用するかと思ったら車で。えー、それゲームの腕とか関係なくドライビングテクニックのほうが重要じゃない?と突っ込む暇もなくナードのみなさんがどいつもこいつもジェイソン・ステイサム並に運転が上手でさ…。

いやさ、そんなところに突っ込む映画じゃないんだろうけどさ、こんなところが、この映画の悪い意味で「雑」なところだと思う。別に「パックマンの名人」を連れてこなくても運転の上手な人間にやらせればいいんじゃね、むしろレースゲームのチャンピオン連れてきたほうがいいんじゃね、って気になって。

ドンキーコングが完全に体力勝負になってるのもいただけない。筋肉番付のチャンピオンでも連れてきたほうがいいんじゃねえのか?って思っちゃった。あとハンマー投げるのはチートじゃねえのかよ。

ゲーマーならゲームのルールでゲームの腕で勝負しろよ、じゃなきゃ海兵隊のほうがよっぽど役に立つだろ、と。

 

そういう悪い意味で「雑」なところが、個人的に気になってこの映画自体なんかノれなかった。作中で触れていた「パターン」を読むとかそういう部分がゲームバトルに活かされているように思えなかった。

 

あと、ゲーム好きだった子供時代というのが基本的に否定的な扱いだったのも好きくなかった。ゲーマーなんて宇宙人が攻めてくるみたいな特殊な事情でもなければ役に立たねえよ、みたいな感じで。

 

この手の懐かしさを誘発する映画に必要なのは、「ああ、懐かしかったな」でなくて、あの頃は無駄じゃなかったという感覚と、あの頃気付けなかったことを気付くという自己肯定こそ大事だと思っているんだが、本作はどうだろう?

作中の人物はこの事件でどんな成長を遂げたんだろう?日常に回帰して彼らは前とどんな違う人生を歩むんだろう?税金が安くなった?女ができた?

…違うだろ、そんなんじゃないだろ。ゲームが好きだった自分が間違ってなかったって感覚だろ。これからもゲーム大好きでいたいって気持ちだろ。自分の仕事に対する誇りだろ。もう女とうまく言ったら一生パックマンとかやりそうにねえな、おまえら!

…そんな感じがどうも駄目だった。

あと二次嫁が三次嫁になって感動するなよ。解像度違ぇよ。

 

とまあ、なんというか、期待したものとは違った気がした。

パックマンが人を襲う!ってとこだけを楽しむなら、まあ楽しめるんじゃないかな。

 

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS Summer Festival 2015

まだ10thの感想も書いていないのに、当日書く気になったのは、ぶっちゃけ後に回せば回すほどだるくなるということを学んだからである。適当にぐだぐだと、備忘録というか単に思ったことの出力として書く。

 

掲題のイベントは、シンデレラガールズのイベントと銘打たれているものの、アニメのイベントと広報されていた。ゲーム原作アニメというものは、思ったより面倒くさいもので、ゲームのファンとアニメのファンの層が微妙に異なっていたりするから、片方に偏った構成にするともう片方に面倒くさいことになることがある。特に「アイマス」という題材は厄介で、ゲームのプレイヤーであったり、声優ファンであったり、さらにアニメファンであったりし、*1そららが相互に入り乱れていて、ひとつのアイマスファン(=プロデューサー)を形作っている。さらに入門した時期によっても微妙にノリが変わってきたりすれのであれば、もはや層を想定したイベント作りなんて不可能ではなかろうか。

今回のイベントは、「シンデレラガールズにアニメから入った」というおれみたいな新参にとってはちょうどいいイベントだったと言える。周囲を見れば10th参加者も(その前もだ)いたし、それなりに層は広かったのではなかろうか。

ただし、イベントの構成はスタンダードなアニメイベントらしく、トークとゲームとライブという三部構成であった。モバマスに何を求めるかに依るのだが、ライブを目的にした人には多少物足りなく、"アニメ側のファン"であればそれなりに楽しめた内容ではなかろうかと思う。おれは、この手のアニメイベントは生アフレコさえあればかなり満足できる性質だ。

 

とは言え、おれもお目当てはライブであったことは間違いない。セットリストは"アニメ"のイベントらしく、アニメOP/EDに、各ユニットの挿入歌だった。おいおいアニメだって「We're the friends」は流れただろう?とか「Nation Bue」だって…という意見もあるだろうが、10thで流れたからいいじゃないかと割りきった構成のようにも感じた。逆に言えば、10thではユニットがそろっていながらも流さなかった「LET'S GO HAPPY」がお披露目されて、非常に高まりを感じた。

Star!!はここ毎週聞いているという稀有な曲で、10thでもワンフェスでも聞いたのだが、今回は一番しかなかったのが少し物足りなかったかな。新曲のShine!!は個人的には聴かせる曲だな、と思う。あまりコールをしたい曲ではないと思った。

「メルヘンデビュー」はライブでは初めて。「なるほど、こうなるのか」と事前に予想はしていたものの現実に圧倒された。たぶん今日で一番の盛り上がりだったと思う。いやぁ、なんというか、本当ライブのために作られたような"楽しい"曲だよねぇ…。そして今日はアニメ16話準拠として三宅麻理恵高森奈津美のユニットというのも良い計算。

高森奈津美と言えば、青木瑠璃子とのアスタリスクの「オーバー」もライブとして非常に盛り上がることが10thで判明してたが、それがさらに実証された感じ。イントロを伸ばして、コール合戦を始めるくらいだもの(会場をみくチームとりーなチームに分けてコール合戦するの)。にゃーにゃーはとても楽しいね。

アンコールである「お願いシンデレラ」と言えば、「Star!!」と同じくらい毎週ライブで聞いている曲になってしまった。最初は「キュート!」「クール!」というコールにすら怯えていたが、慣れたものである…。なれてしまった。はぴはぴ。

そういう意味で曲数は少なかったものの、アニメの各ユニット曲は(ラブライカを除いて)やったし、補完イベントという意味では楽しいものだったと思う。正直なところ10thではイマイチ反応できなかった「Orange Sapphire」をリベンジしたいという思いは無いでもなかったし、個人曲ももっと聞きたくはあった。*2そんな思いは3rdにぶつけろということであろう。チケット取れたら是非にでも行ってみたいものだ。

 

 

ちなみに舞浜物販に始発で参加したけど、ありゃ酷かったな!朝5時11分に舞浜に着いて物販で買えたのが13時35分って。この季節に、野外に8時間もいると普通に熱中症で倒れるよ…。無事に帰ったおれは思ったより健康だなって思っちゃった。

*1:Pと書くべきだが

*2:例えば、本日の出演者ではないが、ワンフェスのイベントで聞いた渕上舞の「薄荷」は非常に、非常に良かった

MadMax : Fury Road

マッドマックス 怒りのデスロードを見た。


おれは旧作マッドマックスを観た事は無く、パンフレットも買ってないので世界設定や背景について知っていることは特に無い。したがって、以下の文章は画面から受けた印象のみで語っていることを予め断っておく。

 

 

そもそも本作に興味を抱いたのは、そこかしこで「バカ映画」だと騒がれているから、という至極単純なものである。「バカ映画」という言葉は、解釈が非常にわかれるのだが、ここでは「全く何も考えなくて見られるアクション超大作」のこととしよう。


しかし、世の中にバカ映画は数あれど「全く何も考えなくて見られる」というのは、意外と難しい。バカ映画とは、派手なアクションと爆発を連続してやってればいいというものではない。ストーリー展開、ちょっとした台詞、画面の分かりづらさ、そんな些細な事柄ひとつでスッと現実に戻されることはよくあるものだ。「何も考えたくないのに、なんで?」って思わせる映画はバカじゃなくてダメだと言うことができるだろう。

 

その点、本作は非常に「バカ」に配慮して作られていると思われ、「何も考えなくても見られる」ことを追求していた。冒頭5分のアクションで、本作のコンセプトや世界観に関してだいたい観客に理解させてあげる手法はもちろんのことながら、キャラクター一人ひとりに対してもなるべく視聴ストレスを与えないようにしていたのは特筆すべき事だろう。「なんでそんなことするの!?」という登場人物と観客の心理の差を軽減するような工夫が随所に為されていたと思われる。


要はみんな合理的に動いているということだ。

マックスは娘か何かの幻影に囚われているのだが、そのせいでマックスの行動が鈍るといったことは特に起きてないから安心できる(幻影に対する説明は特にないし、別に乗り越えもしないのだが「まあ何かあったんだな」程度に思うことができる)
ハリウッドでありがちなヒステリー女(不合理な展開に無理やり推し進めようとするアレ)もいることはいるのだが、1分くらいで改心して普通に進行に戻るので安心できる。
人はバンバン死ぬけど、誰もそんなに他人の死を引きずることがないのも良かった。

そんな風に、極めてドライでありながらもスっと各人の行動が理解できる。悪役一人ひとりに対してもである。

 

さらに―上記と矛盾するような話だが―「何も考えなくても見られる」という作風に対し、非常に考えさせる示唆に富んだストーリーであったことも驚きだった。おれ自身、画面を観ながらかなりストーリーや舞台設定に考えていたことが多かった。これは現実に戻されるという意味での「考える」ではなく、世界設定や背景に関して掘り下げようとする「考察」の気分だと思う。

 

本作には宿敵であるイモータン・ジョーという男を狂信するウォーボーイズという戦闘集団がおり、主人公たるマックス一向と対峙するわけだが、彼らが死に際に銀色のスプレーを口に吹き付けて自爆するシーンが非常に印象に残った。この行為に何の説明も無いが、ジョーは神として崇められているという描写から察するに、よくある「死ぬことで神の下に行く」というタイプの教義を彼らに吹き込んでいることは想像に難くない。スプレーを吹き付けて自爆する、というのが彼らの中で「イケてる行為」というわけなのだ、たぶん。
一見すると自爆テロの延長のように思われるし、「やれやれひどい教祖様もいたもんだ」という感想を抱きがちなわけだが、本作の世界観を鑑み、ウォーボーイズがそもそも何であるのかということを理解すると見方が一変する。

マッドマックスの世界は、戦争だか何らかの災厄で世界中が砂漠になってしまっているわけだが、同時に各地では汚染も進んでおり、そこはもはや人が住める場所ではない。汚染された大地で生まれた人間はどいつもこいつも病んでいるが、その中でとりわけウォーボーイズは死に瀕した病人たちでもある。スキンヘッド、死人のような肌の色、すらっとした痩せた体は、狂気の集団としての演出でもあるが、同時に末期癌に侵された病人たちのそれでもあるのだ。


そんな放っておいても死ぬような連中に対し、戦って死ぬことで神の下に行けるという希望を教え込み、死地に送り出すことは、果たして残酷なことなんだろうか。汚染された大地で夢も希望も無く死ぬのとどっちが残酷なんだろうか。ジョーという男は欲望に忠実に生きてはいるが、少なくともウォーボーイズたちに生きる希望を与えていたという側面もあるのではないかと。そんなことを考え出すと、単純にこの話を、悪いボスをぶっ殺す勧善懲悪モノとは見れなくなるわけだ。

ああ、そうだ―。善いとか悪いというのは―正常な世界から見た者の解釈だ。少なくともマッドマックスの世界では全員が自分の行動を全力で善いと思ってやっている。―その考えに至ったとき、スッと映画の中に入った気がした。現実に戻されるのでなく映画と同期する感じ。そうなるとそこに自分の思考は存在せず「Watch movie or be part of one」ってわけさね。「何も考えずに見られる映画」ってのは「思考が登場人物と同期する映画」ってことなんだと思う。マッドマックスはその点がすごくよかった。ただ「バカ映画」なんて言ってられないと思う。